2019年09月09日
宮田諭と齋藤豊、長谷川武らベテランが語る
自身のキャリア、プロとアマ、そしてB2での戦い(第1回)
まとめ:川西祐介/写真:皆人公平
今シーズンからB2で戦う東京エクセレンスと越谷アルファーズ。ともに現在は「プロ」だが、東京EXはクラブチーム、越谷は実業団チームとしてNBDL時代から切磋琢磨してきた。運営スタイルは違っても、どこか似通った道を歩んできた2チームに長く在籍する宮田諭、齋藤豊(東京EX)、長谷川武(越谷)が顔を合わせ、自身のキャリアを振り返りつつ、B.LEAGUE時代における“プロとアマ”、そしてライバルチームについて語り合った。ベテランと呼ばれるまで長くプレーを続けている分、いろいろなカテゴリー、立場でバスケに取り組んできた3人。彼ら“ならでは”の話題に広がった(全3回)
=第1回=
――皆さんが大学を卒業する頃、日本のバスケットボールのトップリーグは、JBLスーパーリーグでした。所属は8チーム(最終年は7チーム)と少なく、トップレベルでバスケを続けたいプレーヤーにとっては狭き門だったと思います。大学卒業時から、キャリアを振り返っていただけますでしょうか?
宮田「僕はふたりとは明らかに違って、大学を出た時はどこからも声がかからなかったんです。それで、東京EXの前身にあたるクラブチームのエクセレンスを立ち上げました。3年くらいサラリーマンをしながらプレーしていたんですが、そのうちにもっとバスケをしたくなって、会社を辞めてアメリカにトライアウトを受けに行きました。
それで、ABAというマイナーリーグでプレーすることになったんですけど、その時にガードを探していたトヨタ(自動車アルバルク、現アルバルク東京)の関係者に見つけてもらって。2005年の入団ですが、齋藤とは同期入団。それから今までずっと一緒にプレーしています。
5シーズントヨタでプレーしたあとは、またエクセレンスに戻って、サラリーマンをしながらプレーを続けました。そのうちにNBDLができて、そこに入れるチャンスがあったので、じゃあみんなで頑張って入ろうよとなり、プロチームに移行して、今に至っています」
――齋藤選手の大学卒業時はどうでしたか?
齋藤「大学卒業時は日本でバスケを続けることに興味を持てなくて。なので、いただいたオファーも全部断って、アメリカの大学に行きました。海外に出たのは、バスケを諦めるためというか……そこで自分のレベルってたいしたことないよねって思いたかったんです。そう思えたら、その後は実家の電気屋さんを継ごうと思っていました。
アメリカで1シーズンプレーした後、2シーズン続けるのはどうかなって思っている時に、トーステン・ロイブルさん(2006年から2シーズン、トヨタ自動車HC)に相談したら、ドイツに呼んでくれて、ブンデスリーガ2部のケムニッツ(99ers)でプレーすることになりました。それから、日本に戻ってトヨタに入団し、その後は宮田さんと一緒ですね」
宮田「齋藤にはスーパーリーグに参戦する8チーム中7チームからオファーがあったんですよ。丁寧にとはいえ全部断って、アメリカに行ったのは彼らしいなと思ったりもしましたけど。やっぱり、もったいないなとか、すげぇなって思いましたけどね。結果、ぐるっとまわって、日本に帰ってきてからは一緒にプレーしているので、僕からしたらラッキーですよ」
長谷川「僕は黒沢尻工業高校在学中に資格を取って働こうと思っていたんです。でも、代表(2002年ジュニアアジア選手権代表に選出)に呼んでもらうようになって、資格試験を受ける時間がなくなってしまって。それで、推薦で拓殖大学に行きました。
大学卒業時も仕事メインの就職と迷いましたが、オーエスジー(フェニックス、現三遠ネオフェニックス)からオファーをいただき入団しました。1年プレーしたんですが、チームがbjリーグに転籍することになったので、千葉のクラブチーム(千葉ピアスアローバジャーズ)に移籍。そこで2年プレーした後に、大塚商会(アルファーズ、現越谷アルファーズ)から声をかけてもらって、それから丸9年ですね」
――就職と迷うこともあったようですが、今もプレーを続けているのは、バスケに対する想いが強かったということでしょうか。
長谷川「生まれた時からバスケやってるようなものだったんで、バスケが生活の一部になっている。だから今はバスケがない生活は無理ですね(笑)」
――宮田選手と齋藤選手は、会社員として働きながらB.LEAGUEでプレーしていますよね。また、長谷川選手も今はプロ選手ですが、以前は大塚商会でも会社員の経験があります。二足の草鞋とも言える状況で、どのようにバスケに取り組んでこられたんですか?
宮田「社会に出て最初のクラブチームの頃は、もっとバスケしたい、昼間の仕事がなければいいのにっていうのが本音。それは、2人みたいに声をかけてもらった立場じゃなくて、劣っている分頑張んなきゃと思っているのに、バスケに費やす時間が足りない、上手くなれないっていう発想からでしたね。
アルバルクを辞めてから、10年くらい働きながらバスケしているんですけど、年々意識は変わってきています。とくにB.LEAGUEができてからは、アマチュア登録ですけど、コートに立てばプロ登録の選手と試合をする。当然配慮なんかないじゃないですか。そういう意味では、コートではプロとしてプレーしている。
最初は働きながらだと、コンディションは上がりにくいし、難しいなって思うこともありましたよ。でも今は、プロだからってバスケだけをしている人は減っていると思うんですよ。クラブやリーグの普及活動をしたり、オフに3人制でプレーしたり、引退後のことを考えてビジネスをしたり、いろんな人がいる。
そう考えると、働いていることがそんなに邪魔でもないというか。もちろん、僕の場合は会社やクラブが両立を許してくれているというのはあるんですけど、正直、仕事より練習を優先させてもらっているんで、練習はぜんぜん休んでない。B.LEAGUEになってからは、アマチュア登録っていう以外はプロとあまり変わらない」
――日本でのプレーに興味を持てなかったという齋藤選手も、今は働きながらプレーを続けていますね。
齋藤「今の環境がすごく良いなって思っています。働くことで、今まで関わることのなかった世界を見させてもらっていて、すごく楽しいです。バスケも楽しいですしね。いろいろやらせてもらっていて、それが全部楽しいっていう感覚ですね」
宮田「僕は練習中心ですけど、齋藤は優先順位をつけながら、仕事もしっかりやっているんです」
齋藤「応援されるプレーヤーでいたいなって。『いつ練習してるの?でも頑張っているね』って言われるような社員、プレーヤーでありたい。バスケだけ、好きなことだけやっていても誰も応援はしてくれない。子どもたちにも『バスケだけじゃなくて、家の手伝いもちゃんとやること』って話をしているので、それを自分でも実践しています」
――長谷川選手も大塚商会で仕事を持っている時期があったということですが。
長谷川「朝早く起きて、出社して、残業一切なし。18時には仕事が終わって、20時から2時間くらい練習、の繰り返しでしたね。規則正しい生活。だから、あまりいろいろなことを考えずに、それぞれに集中してやっていました。今は時間があるので、逆にバスケのことだけじゃなくて、いろいろなことを考えるようになり、それはそれでキツいかなって思いますね」
宮田「時間の使い方に対する密度は上がるかも。プロは自分でマネジメントしなきゃいけないからね」
大学卒業後のプレー環境は3人それぞれながら、バスケに対する思いの強さは同じ。だからこそ、長くプレーを続けることができているのだろう。第2回では、昨シーズンB3を舞台に競い合った3人が、B.LEAGUE時代のプロとアマについて、語った。